日本人にとっての成長とは?
今年の4−5月は、友人の結婚式に参加するために、ベトナムに行ってきました!
今回は、ハノイと、ハノイから南に車で3時間ほどの
ド田舎に行ってきたのですが、
日本を魅力的な国だと思っている若者たちに会い、
たくさんの質問を受けました。
私は私で、田舎の田んぼや畑の景色に感動したり、
家族が食べきれなかった残飯を食べるワンちゃんが可愛かったり、
ふとした時にベトナムの魅力を強く感じる旅でした。
この旅を通して感じたことはいくつもありますが、
この日記帳では、「成長」をキーワードにして
私が感じたことを残しておきたいと思います。
「成長」とは?
今回ベトナムに行って感じたこと。
それは、「成長したい」と思うの
は人間にしか備わっていない機能だということです。
例えば、残飯を食べているワンちゃんは、
今日の食事のことしか考えていないと思います。
一方で、ベトナムの人たちは、
もっとベトナムも日本のように発展してほしい、
もっとお金を稼げる仕事に就くために転職したの、
など、国や個人規模での成長、拡大を願っているように感じました。
でも、成長って、なんでしょうか。
今よりもより良くなること?大きくなること?
どちらもそうかもしれませんが、
そのどちらも、終わりのない拡大を誓っているように感じるのです。
日本で必要な成長とは?
日本はここ30年ほど成長していないと言いつつも、
ベトナムにとって日本は、
先進国として物質的な豊かさを享受している国だと定義されています。
特にベトナムで私がよく言われたのは、
日本は、ものの質が良くて礼儀の正しい国でした。
日本は、道路だってボコボコ道は本当に少ないですよね。
日本で働いていたベトナムの方に、
「日本で運転すると道路も本当にスムーズだから、
居眠り運転しそうだわ〜」と冗談を言われました。
基本的な生活を送るために欠かすことのできないものが揃っていることは、
本当にありがたいことです。
ベトナムの人々からすれば、
日本は住むにしても、働くにしても、
表面上は問題のない理想郷のように見えているはずです。
だからこそ、「成長」ってなんだろう、と疑問が湧くのです。
ベトナムは、
道路の整備や福祉の発達などが不十分なので、
まだまだ「成長」が必要だと思います。
ただ、日本は、成長以外の何かを追う段階に
差し掛かっているのではないかな。
そんな疑問が湧くのです。
例えば日本では、利用者にとってはさほど重要ではない機能、
例えば冷蔵庫の中身がわかるようにスマホ連携のカメラが
付いている製品があります。
ですが、この機能を追加したことで、
企業として成長している、
利用者の負担が減って効率化が高まった、
と言えるとは思えないんです。
私たちは、「成長」している感じを醸し出すために、
「仕事を作っているだけ」なのではないか?
そんなふうに思うようになりました。
農業や介護の現場ではこれからも改善が
必要な部分は多いかもしれませんが、
それは成長や拡大ではなく、
より住みやすい環境を作るための整備ではないかと思うのです。
成長した国にいるからこそ達成できる本当に望む生き方
今回ベトナムでは、
貯金を作ることが人生の目標になっている人、
金銭的自由をまず手に入れたい人、など、
生活における基本的な安全を確保する最中
(=成長の真っ只中)にいる人に何度も会いました。
この姿を見て、日本にいる私たちは、
何か別の目標が生きがいになったら良いのだろうな、と感じました。
私はインドの哲学を学んでいますが、
インドの哲学では、
私たちが生まれた場所、家族、環境の全ては、
自分が達成したいことを叶えるために”選んだ”
という考え方をします。
だから、あなたが日本に生まれた理由も、
他の人がベトナムなど、日本以外の国に生まれた理由も、
きっとあるのです。
日本に住んでいると、
「成長しなきゃ」「もっと良くならなきゃ」
という感覚に慣れていて、違和感がないかもしれません。
ですが、日本に住む私たちがこれから必要なことは、
別に誰も求めていない機能を追加して新製品を発売するのことではなく、
本当に自分が望む生き方、
そして
自分がここで「生きている」と感じられる生活に
シフトしていくことだと思うのです。
本当はあなたはどう生きたいですか?
あなたが人生を終えるとき、
「成長している感じ」を醸し出すだけののサイクルの中で
一生を終えたいと思いますか?
私は累計1万回以上、この種の答えを探るためのリーディングを行っています。
「あなたがあなたであること」を思い出すセッションは下のボタンから。
by Jessica Kato 加藤ジェシカ