「休む」ことへの罪悪感は、どこからきているのか
私はハワイと2拠点生活をしているのですが、
ハワイにいる時にニコッと笑える会話に遭遇しました。
それは、平日の夕日が沈んだ頃に、
テラス席のあるカフェでアメリカ人数名が
楽しそうにお話しをしている姿を見た
観光に来ていた日本の方が私に
「あの人たちは、仕事も定時で終わって
ワークライフバランスが整っているんだね」
と言ったのです。
私は、反射的に
「たまたまじゃないかな!?」
と言ってしまいました。
なぜなら、ハワイでも残業がある人もいるし、
家賃が高すぎるので、
掛け持ちで仕事をしている人も多く、
ワークとライフのバランスが
良くない人の方が多いと感じていたからです。
カフェで座って楽しく過ごす日もあるよ、
くらいだと思ったんですよね。
でも、そう言いながら、
日本だと、仕事終わりや休日に
「何もしていない自分」を
楽しむことは少ないかな、
と思い始めました。
かくいう私も、
日本で働いていた時には、
本を読まなければ。
スキルアップしなければ。
せっかくの休みなのに、
何か「生産的なこと」をしなければ。
そんな声が、
頭のどこかで鳴り続けていました。
何もしないのは、贅沢な時間だ、
という思い込みがありましたね。
でもこれ、日本に根づいた、
ある種の「文化的な思い込み」だと思うんです。
今日は、私が日本とアメリカの両国に住んで、
働いたことから感じたことを元に、
日記帳を進めてみます。
自己啓発という名の、終わらないレース
日本語の「自己啓発」という言葉には、
英語に直訳できないニュアンスがあります。
self-improvement でも、
self-help でもない。
もっと義務感のような、道徳的な重みがある。
「まだ足りない自分を、
もっと良くしなければならない」
という前提が、
すでに言葉の中に埋め込まれている
ように感じるのです。
セミナー、ビジネス書、
早起き習慣、副業・・・
自己啓発産業は、
「ちゃんとしている人」に、
「まだ足りない感」を植え付けている
ように見えます。
なぜなら、 どれだけインプットしても、
「もう十分」という感覚は、
なかなか訪れないからです。
世界の一流が「休日」にしていること
ビジネスコンサルタントの越川真司氏は、
著書の中でこう述べています。
“世界の一流のビジネスパーソンは、休日を「主体的にエネルギーを回復させる時間」と位置づけているのに対し、日本のビジネスパーソンは「できれば何もしない」ことを好む傾向がある、と。さらに世界の一流は、翌週の仕事に良い状態で向き合うために、積極的にパワーチャージを図っています。”
興味深いのは、
その「パワーチャージ」の中身です。
同書では、世界の一流が心身のコンディションを
整えるために意識していることとして、
十分な睡眠、
規則正しい生活リズムの維持、
バランスの取れた食事、
運動やリラクゼーション、
脳に刺激を与える活動
この五つが挙げられています。
(越川真司『世界の一流は「休日」に何をしているのか』クロスメディアパブリッシング、70〜71頁)
そして、同書はこうも指摘します。
“一方で、日本企業のビジネスパーソンは、仕事を通じて自己成長のためのさまざまな挑戦を続けていますが、一番の行動ハードル(障害)は、「失敗が怖い」と考えていることにあります”
この三つを並べてみると、
見えてくるものがあります。
休み方を知らない。
身体より脳の回復を後回しにしている。
そして、失敗を恐れるあまり、
外からの「正解」をインプットし続けようとしている。
アーユルヴェーダが5000年前から知っていたこと
インドの医学アーユルヴェーダでは、
休息は「頑張った後のご褒美」ではありません。
それはオージャスと呼ばれる生命力そのものを育む、
根本的な行為です。
オージャスは、
良い睡眠、
消化の良い食事、
心の安定によって作られます。
逆に、消耗するのは、
過労、過食、過度な刺激、
そして、
終わりのない自己否定。
「まだ足りない」
「もっとやらなければ」
という内なる声は、
アーユルヴェーダ的に見ると、
ヴァータ(風のエネルギー)
が乱れているサインです。
ヴァータが過剰になると、
人は不安になり、
次々と情報を求め、
地に足がつかなくなる。
自己啓発コンテンツを次々と消費したくなるのも、
実はこの状態の現れかもしれません。
身体が本当に必要としているのは、
次のセミナーではなく、静けさです。
「失敗が怖い」の正体
もうひとつ、先ほどの本の指摘が気になりました。
日本のビジネスパーソンが最も恐れているのは、
「失敗」だという点。
でも、考えてみてください。
なぜ、失敗がそこまで怖いのか。
それは、「自分の価値は、成果によって決まる」
という思い込みが、深いところに
刷り込まれているからではないでしょうか。
バガヴァッド・ギーターには、
こんな言葉があります。
古代インドの聖典ですが、
現代の私たちの心にも、驚くほど刺さります。
“あなたに権利があるのは、行為そのものに対してだけである。 結果に対してではない。 ”
これは「結果を気にするな」
という無責任な言葉ではありません。
行為の純粋さを守るために、
結果への執着を手放せ
という、深い智慧です。
失敗を恐れてインプットを重ねるとき、
私たちは「結果」という幻に支配されています。
結果が望み通りにならなかった時、
やさしく問いかけてみてください。
その行動は、本当にあなたの内側から来ているか? と。
「言語化」できなくていい。身体はすでに知っている
最近、「言語化」という言葉もよく聞くようになりました。
自分の気持ちをうまく言葉にできること、
が能力として評価される時代。
私がこの日記帳を書くのも、
自分がアーユルヴェーダや
インドの哲学を学んだことを
「言語化」していますので、
言語化は必要な能力ではあるでしょう。
ただ、アーユルヴェーダを学んで、
そして10年近く実践して思うのは、
すべての内なる声は、
言語化できるわけではない、
ということです。
むしろ、一番大切な感覚、
「なんか違う」
「ここじゃない気がする」
「もう限界かもしれない」は、
言葉になる前に、
身体の中に先に現れます。
「直感」
「腹で感じる違和感」なんて、
言語化できませんよね。
アーユルヴェーダは、
その声を「身体のサイン」と呼びます。
眠れない夜、
消えない疲れ、
朝のだるさ。
それは弱さではなく、
身体からのメッセージ。
サンスクリット語では、
それをプラジュニャ(Prajna)と呼びます。
言語化を超えた、内なる叡智。
自己啓発が「外から答えを入れる」
ものだとしたら、
アーユルヴェーダは「内側にある答えを聴く」
ための技術です。
休むことは、サボりではない
あなたが疲れているのは、
努力が足りないからではありません。
回復の仕方を、誰も教えてくれなかっただけです。
世界の一流が「主体的に」休むように、
アーユルヴェーダもまた、
身体と心のリズムを意図的に整えることを勧めます。
インプットをやめる夜を、作ってください。
身体のサインに、耳を澄ます朝を、作ってください。
あなたの身体は、すでに答えを持っています。
恐怖を埋めるように動く自分に、
気づいてあげてください。
身体の変化に気づくことが、
「本当に求めているもの」への最初の一歩です。
自分の身体のサインが気になる方は、
まず「魂の声診断」を試してみてください。
あなたの体質と、今の心の状態を、アーユルヴェーダの視点から紐解きます。